絶賛放映中の『天地人』。私、ホントにちゃんと見てないのでストーリーがどうなってるのか良く分かってないんですが、先日、皿洗いしながらチラ見したら、福島正則が宙を飛んでました。
・・・え!?なに?何コレ!?これはアリなの!?
なんだ今の。役者がアレだからああいうキャラにされたのか(失礼)、それとも今年の大河がああいう路線なのか。で、この時の話も最後まで見なかったのですが。つか、見る気も失せたんですが。
ここまでチラ見しながら覚えてるシーンは数える程。兼続の父ちゃんがまとも人かと思ったら若いおなごを後妻にもらってデレデレしてるシーンで呆れ(年の差夫婦だって、あんな風に描く必要はなかろうに)、しゃっきりしない兼続にイラつき、更に期待してた景勝・菊姫夫婦もなんか好きになれず、やっぱまあちゃんと見なくていいかなーと思っていた私なのですが・・・以前からファンも多いはずの直江さんですから、この大河でイメージ付けちゃまずいだろうと、藤沢周平氏の『密謀』借りてきて読んでるところです。
な・・・直江兼続、かっこいいじゃないか!!
これこそ智将だよ。これこそ主君の右腕だよ。
こういう路線で良かったのに、なんで大河ではあんなことになっちゃってるんだ!?
あれ、私、去年も小松帯刀に対して同じこと思ってたような気がするよ!?
大体。
愛の心で戦国の世を生きる。
これが最初から無理あり過ぎだったんですよ。
生きるか死ぬかの厳しい時代なのに。
宗教団体ですら武装する時代ですよ。一揆起こす時代ですよ。
何かと言えば『義』『義』と繰り返す。お題目唱えてればいいってもんじゃなかろう!
で、『義』ってなんなの?
某歴史雑誌に大河のプロデューサーのコメントが載っていたのを思い出して読んでみました。
「敗者の美学」を描くのもいいんじゃないか。
↓
目に見える価値以外のものを大事にしてた兼続や三成。
↓
目に見えない価値を大事にした人こそが「日本人」と呼ばれていたのではないか。
↓
兼続を通して日本人の原型と信念を貫くことの大切さを訴えていければ。
ちょっと待て!!
目に見えない価値を大事にした人こそが「日本人」って・・・いつの時代のことじゃ!!
日本の歴史は、この時点でもう何百年も経ってるんだから、色々な人間がいたはずですよ。んじゃ強欲な人は日本人じゃなかったんかい。なんかいいこと書いてるって感じだけど、無茶苦茶な日本人論じゃないか、それ。
で、『義』ってなんなんすか。
信念持った人ってことでいいんですか。なんかハッキリしないなあ。どうとでも取れるんじゃないのか、それじゃあ。信念持って天下統一しました、って言うことだって出来るのに。
視聴者側は色々な解釈でいいかもしれないけど、製作側も解釈が統一出来てない感じがするのは気のせいでしょうか・・・。
チョロ見の分際でドラマを語るのもおこがましいですが、兼続、智将のはずなのに頭じゃなくて心でばかり動いてますよね、多分。
戦争のことは良く分かりませんが、敗北するということは、必ず原因があると思うのです。
『謀略によって負けた』というならば、何故謀略に引っかかってしまったのか、そこを突き詰めないと原因究明にはならない。相手が非道だったから負けたんだ、ではただの責任逃れでしかないと思うんですよ。だけど、この大河ではそうなりそう・・・っていうか、『戦には負けたが、闘いには勝った』とでも言わせる気なんでしょうか。いくら敗者視点のドラマで、主人公に正当性を持たせる為とは言え、巻き込まれる下の者たちは、たまったもんじゃないよね!?
っていうか、大河の上杉家見てる限りでは、そりゃ負けるわ。って思っちゃうんですけど!
なんかね、去年もそうだったんですけど、主人公の無理矢理な正当化にはうんざりいたしますね。『正しい人の正しい生き方』を大河ドラマでやっても、ちっとも面白くないと思うのは私だけでしょうか。悪人に描け、と言ってるんじゃなくて・・・。人間的に描いて欲しいというか。ヘタレとかお転婆☆にすることが人間的と思ってるんならお門違いだよ、スタッフ!ドラマ上では、それはただの「性格」であって、成長と共に変わる部分ではなかったもの、去年だって。
某名君を大河ドラマにしてくれ、と嘆願するお話がありましたよね。結局「お江」になって、また流れたわけですけど、それで正解だったような気がします。今のような大河の造りだと、『立派な人の間違いのない正しい生き方』を1年見せられるだけになると思うんですよね。よっぽど上手く作らないと、逸話の少ないマイナーな人の場合、今年の二の舞になりかねませんよ。
プロデューサーの「今までに無い大河」というのは、意図と違う方向で達成してるような気がしますネ☆(毒)
・・・来年が心配になってきました。まあ龍馬だから逸話は豊富ですが。
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